ジョー・アーネスト・クレーン Joseph Earnest Crane
英国のゴルフ設計家
- 1892年(明治25年) 5月横浜生まれ 英国人貿易商の父と日本人の母の3男として誕生
- 1899年(明治32年) 神戸に移住
- 1918年(大正7年) 神戸ゴルフ倶楽部でゴルフを始める
- 1920年(大正9年) クレーン3兄弟ともに鳴尾ゴルフ倶楽部の創設メンバー
- 1980年(昭和55年) 3月 没(享年87歳)
多くのゴルフ場設計に携わる一方、関西シニア選手権(昭和27年)や関西グランドシニア選手権(昭和41年)に優勝するほどの実力派 関西ゴルフ連盟顧問、JGA理事にも努めている。生前は垂水ゴルフ倶楽部特別会員 垂水ゴルフ倶楽部の他に、三好カントリー倶楽部、西宮高原ゴルフ倶楽部、宝塚高原ゴルフ倶楽部、花屋敷ゴルフ倶楽部ひろのコース、千刈ゴルフ倶楽部など多くのゴルフ場の設計に携わる
南郷三郎 Saburou Nango
※写真は(財)日本ゴルフ協会ご提供
日本ゴルフ協会設立(1924年)代表メンバーの一人、JGA初代チェアマン、関西ゴルフ協会の創設にも尽力。 83歳の時、日本初のエージシュート達成者(スコア82)でもある。
- 1878年(明治11年) 10月神戸灘生まれ
- 1900年(明治33年) 東京高等商業学校(現一橋大学)卒
- 1900年(明治33年) 日本綿花株式会社(現双日)に入社
- 1932年(昭和7年) 同社社長に就任 その後多くの社長・会長に就任し財界で活躍
- 1975年(昭和50年) 10月没(享年 97歳)
一橋大学では柔道部を創設するなどのスポーツマンであったが、大正7年アキレス腱断裂の大怪我をきっかけに知人の勧めで、リハビリを兼ね神戸ゴルフクラブに入会、その後鳴尾ゴルフアソシエーションにも入会し、たちまちゴルフの虜となる。しかし鳴尾ゴルフアソシエーションが用地問題で閉鎖されたため、新たに手軽に行けるゴルフ場を創ろうと、垂水の丘に9ホールの舞子カンツリーを創る。 この時、日本で最初のプロゴルファーである福井寛治をプロ兼キャディーマスターとして任命している。 その後南郷は、大阪で設立された18Hの茨木カントリー倶楽部に対抗して、兵庫にも18ホールの本格的なコースを創ろうと、当時神戸にあった午餐会オリエンタルクラブの財界メンバ(舞子カンツリー倶楽部メンバーが中心)と共に、1932年(昭和7年)廣野ゴルフ倶楽部を設立。
なお、廣野ゴルフ倶楽部の土地は、昭和5年当時舞子カンツリー倶楽部理事長でオリエンタルクラブメンバーであった九鬼隆輝子爵が所有していた土地であったと記録が残されている